本ページはプロモーションが含まれています

History of Guam

グアムの歴史年表とチャモロ人の文化

|

グアムの歴史年表とチャモロ人の文化をグアムの歴史的スポットと共に紹介します。

アメリカ合衆国に属しながらも、グアムの文化や生活には、300年以上続いたスペイン統治時代の香りが色濃く残されています。

また、かつてグアムが大宮島と呼ばれていたことを知っていますか?

グアム歴史を知らなくてもバカンスを楽しむことはできますが、グアムの歴史やチャモロ文化について知れば、より深くグアムの魅力を感じることができます。

スポンサーリンク

チャモロ文化とは

チャモロ(Chamorro)ってどういう意味?

伝統的チャモロ人を描いた絵画(グアムミュージアム)

伝統的チャモロ人を描いた絵画(グアムミュージアム)

チャモロ族 (Chamorro) は、ミクロネシアのマリアナ諸島の先住民。
チャモロは、スペイン語の「刈り上げた」とか「はげ」という意味を表す言葉である。

引用元:Wikipedia

当時、先住民の成人男性は頭を剃って後ろ髪だけ長く伸ばしており、その髪型をスペイン人が「チャモロ」と呼んだことが、名称のルーツといわれています。

グアムでは、チャモロは「高貴」という意味を持つ言葉となっています。

チャモロ文化について

チャモロ文化実演ショー

チャモロ文化実演ショー

古代のチャモロ人は漁師としても職人としても優れ、自分たちの生活環境に適した独特の住居やカヌーを造り、また複雑な織物や手の込んだ陶器の製作にも通じていました。

また強固な母系社会を形成しており、女性の権力と特権によってチャモロ文化の大部分、言語・音楽・舞踊・伝統などが守り伝えられてきたのです。

引用元:グアム政府観光局

チャモロ人は文字を持たなかったので、スペイン人と接触する前の歴史の詳細は不明だそうですが、航海技術や生活様式を伝える遺物や口承から、高度に発展した独自の文化を持つ民族だったと予測することができるそうです。

聖母マリア大聖堂に集うグアム島民

聖母マリア大聖堂に集うグアム島民

チャモロ文化には先住民がもつ土着の習慣を含め、300年以上続いたスペイン統治時代の文化や風習も色濃く残っているのが特徴です。

チャモロ語とは

グアムの公用語は英語とチャモロ語です。

グアムの人口の約40%を占める現地チャモロ人の間では伝統的なチャモロ語も使われており、歴史的スポットの看板や解説文には英語文にチャモロ語が併記されていることもあります。

チャモロ語は、古代チャモロ語とスペイン語、フィリピンのタガログ語がミックスしてできたものといわれており、グアムのほかサイパンなどでも話されています。

簡単なチャモロ語
チャモロ語読み日本語
Guahanグアハングアム
Hafa Adaiハファデイこんにちは
Adiosアディオスさようなら
Buenas Diasブエナスディアスおはよう
Buenas Nochisブエナスノチェスおやすみ

グアムの歴史年表

グアムの歴史について、以下年表形式で解説します。

※時代区分の年号詳細については諸説ありますので、参考としてご覧ください。

古代チャモロ時代(~1500年頃)

古代チャモロ時代はラッテストーンと呼ばれる石柱が作られていた「ラッテ期」と、それ以前の「先ラッテ時代」に分けられます。

この時代は、どの国にも侵略されていなかった先住民たちの平和な時代と考えられます。

先ラッテ時代

グアムの歴史再現ムービー(グアムミュージアム)

グアムの歴史再現ムービー(グアムミュージアム)

はるか昔の紀元前1500年頃、東南アジアから海洋民族の古代チャモロ人が船(三角帆のカヌー)で渡来。

彼らはインドマラヤ系民族であるといわれています。

歴史的スポット紹介(グアムの歴史を学ぶ)

グアムミュージアム(博物館)の入場料や営業時間について

ラッテ期(9~15世紀)

ラッテストーン公園

ラッテストーン公園(グアム南部にあった本物のラッテストーンを移設している)

チャモロ文化の象徴であるラッテストーンと呼ばれる巨石が造られていた時代。

西暦800年頃には人口10万人を超え、秩序のある社会を形成していたといわれています。

ラッテストーンは、ハリギと呼ばれる石柱の上に、タサと呼ばれる頭石(キャップストーン)がのっているのが特徴です。

グアムだけでなくマリアナ諸島全域で見られますが、正体についてはいまだ解明されていない謎の巨石です。お墓、祭祀場など諸説ありますが、高床式の家の土台であるというのが定説になっています。

歴史的スポット紹介(ラッテストーンが並ぶ公園)

ラッテストーン公園~日本軍の防空壕が残るハガニアの観光地

スペイン統治時代(1521年~)

333年にわたるスペイン統治の時代。

マゼランが上陸したウマタック村に首都が置かれました。また、宣教師の布教によりキリスト教やスペインの文化がグアムに定着します。

1521年

マゼランの肖像画(グアムミュージアム)

マゼランの肖像画(グアムミュージアム)

世界一周渡航中のポルトガル出身の探検家フェルディナンド・マゼランがマリアナ諸島を発見。

グアム南部のウマタック湾に寄港したとされています。

1565年

ウマタック村の絶景がのぞめるソレダット砦

ウマタック村の絶景がのぞめるソレダット砦

スペインが送り出した探検家ミゲル・ロペス・デ・レガスビがグアムに上陸。

マリアナ諸島をスペインの領有とする宣言がグアムで行われる。その時から333年間、スペインによるグアム統治が続く。

同年、ウマタックはガリオン船(メキシコとフィリピンを結ぶ交易船)の寄港地に。

※交易船を海賊から守るために築かれた砦跡「ソレダット砦」が、現在のウマタックに残っています。

歴史的スポット紹介

ソレダッド(ソレダット)砦~水牛が歩くグアム南部の景勝地

1668年

ハガニアのロータリーに建つ大酋長キプハ像

ハガニアのロータリーに建つ大酋長キプハ像

スペイン人宣教師ディエゴ・ルイス・サン・ビトレス神父(以下、サン・ビトレス神父)一行がグアムに到着。

サン・ビトレス神父の手によって、最初の洗礼を施された大酋長キプハらの協力により、キリスト教布教の拠点をハガニアに定めました。

歴史的スポット紹介

大酋長キプハ像~ハガニアの観光スポット

1669年

聖母マリア大聖堂

聖母マリア大聖堂

ハガニアにグアムで最初のカトリック教会(聖母マリア大聖堂)が建立。

※現在の聖母マリア大聖堂前に建つのがサン・ビトレス神父像となります。

歴史的スポット紹介

聖母マリア大聖堂(ハガニア大聖堂バシリカ)

1670年

アプガン砦

アプガン砦

西洋文化や近代制度がこの頃持ち込まれる一方、先祖崇拝を禁止されるなど、島の伝統や習慣が失われていくことを危惧したチャモロ人がカトリックの教えに強く反発。

25年間続いたといわれるスペイン – チャモロ戦争が開始される。

※現在、チャモロ人の反乱に対するスペイン軍の拠点跡としてハガニアに残されているのがアプガン砦です。

歴史的スポット紹介

アプガン砦(サンタアグエダ砦)~グアム丘の上の観光スポット

1672年

サン・ビトレス神父像

洗礼のため子供を抱えるサン・ビトレス神父像と酋長マタパン(グアムリーフ敷地内)

娘に洗礼を受けさせることを嫌ったタモンの酋長マタパンがサン・ビトレス神父を殺害。

この件で、グアム島民とスペイン軍の間の混乱が悪化したといわれています。

1695年

ハガニアのスペイン広場

ハガニアのスペイン広場

最後のチャモロ人の反乱をスペイン軍が制圧し、スペイン – チャモロ戦争が終結。

10万人いたといわれているチャモロ人の人口が5000人以下まで減少したといわれています。

その後は島民による反乱もなくなり、宣教師たちは宗教のみならず、教育制度を整え、西洋文化を島民に伝承したということです。

※1736年から1898年にかけてスペイン総督邸があったスペイン広場は、グアムのスペイン統治時代を偲ばせる代表的なスポットになっています。

歴史的スポット紹介

スペイン広場でグアムの歴史を探索

第1アメリカ統治時代(1899年~)

スペインの影響力が薄れ、アメリカ覇権時代が到来。

グアム島外との人と物の往来が盛んになり、輸出業で成功する家族や移民が増えた時期です。

1898年

スペイン軍によるアメリカ戦艦の沈没をきっかけに米西戦争が勃発。

米国艦隊がグアムのアプラ港に入港。グアムのスペイン当局はアメリカ軍に島を明け渡します。

1899年

「ドゥンカハウス」アメリカ統治時代の歴史的建造物

「ドゥンカハウス」アメリカ統治時代の歴史的建造物

333年にわたるスペイン統治時代が終結。

島には星条旗が掲げられ、アメリカ海軍による統治が始まります。

歴史的スポット紹介

ハガニア歴史保存地区(ドゥンカハウスとルハンハウス)

日本統治時代(1941年~)

ビーチに残る大砲。ガンビーチの名前の由来になる

ビーチに残る大砲。ガンビーチの名前の由来になる

31か月間の日本統治時代。グアム島が「大宮島」だった時代です。

グアム島内には旧日本軍が残した数々の戦跡が今なお残っています。

1939年9月

第二次世界大戦開戦

1941年12月8日

ラッテストーン公園にある「防空壕」日本の漢字表記が残る

ラッテストーン公園にある「防空壕」日本の漢字表記が残る

真珠湾攻撃の日と同じ12月8日、日本軍がグアム島を占領。

グアム島は「大宮島」と改名され、31か月間の日本統治時代が始まりました。

歴史的スポット紹介

太平洋戦争国立歴史博物館(太平洋戦争記念館 )

1944年7月21日

グアムに上陸する米兵のレリーフ(アサン展望台)

グアムに上陸する米兵のレリーフ(アサン展望台)

グアム島奪還のためにアメリカ軍がアサンとアガットの海岸から島に上陸。

島内で日米による激戦が展開されました。

歴史的スポット紹介

ガアンポイント・ビーチパーク~グアム南部の太平洋戦争国立歴史公園

アサン展望台~太平洋戦争国立歴史公園

アメリカ自治属領時代(1944年~)

第二次世界大戦後、グアムはアメリカの準州となり、近代的な観光産業がもたらされました。

一方で、島の3割以上が米国軍基地として収容されているという側面もあります。

1944年8月11日

アメリカ国旗とグアム島旗

アメリカ国旗とグアム島旗

31ヶ月にわたる日本の統治が終わり、グアムはアメリカ領に復帰。

1945年

第二次世界大戦終戦

1950年

1950年にNYのボーイスカウト協会から寄贈された自由の女神像(パセオ公園)

1950年にNYのボーイスカウト協会から寄贈された自由の女神像(パセオ公園)

グアムはアメリカの準州となり、島民にアメリカ市民権が与えられる。

歴史的スポット紹介

パセオ公園 自由の女神像があるハガニアの観光地

1967年

パンアメリカン航空が日本からの就航を開始。

グアムに観光産業がもたらされます。

1970年

グアム上空を飛行するJAL機

グアム上空を飛行するJAL機

日本航空が就航を開始。

1972年

横井ケーブ近くの展示

横井ケーブ近くの展示

グアムに28年間潜伏していた元日本兵の横井庄一氏がタロフォフォのジャングルで島民によって発見される。

※グアムでは、「横井庄一氏は日本の英雄」として認知されており、タロフォフォの滝公園内には横井氏が潜伏していた洞窟(横井ケーブ)のレプリカや資料展示があります。

歴史的スポット紹介

タロフォフォの滝公園(横井ケーブ)

1981年

スペイン広場前のヨハネ・パウロ2世像

スペイン広場前のヨハネ・パウロ2世像

ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がグアムを訪れる。

関連史跡の紹介

ヨハネ・パウロ2世像

現在

タモンビーチ

タモンビーチ

日本から年間80万人以上の観光客が訪れる人気のリゾート地に成長。

現在に至る。

最後に

以上、グアムの歴史年表とチャモロ人の文化でした。

知ると知らないではグアム旅行のの充実度が大きく違ってくることもあるかと思います。

グアムに行ったら訪問したい観光地(歴史的スポットや戦跡を含む)の場所や地図については下記の記事にまとめてあります。ぜひご覧になってみてください。

関連史跡の紹介

グアムの観光名所おすすめ32選!定番から穴場スポットまで一挙紹介します

スポンサーリンク

Keyword

Share

スポンサーリンク
ページトップへ戻る